万代島地区のまちづくり

〜歴史概要とまちづくりの取組〜


Bandaijima 万代島地区まちあるき

 

 近世の頃より新潟湊は、信濃川や阿賀野川流域の内陸と外海を結ぶ拠点であり、北前船の寄港地であり、大小多くの船が行き交うなど繁栄しており、1869年には開港五港の一つとなりました。当時、水深が浅く江戸時代と変わらなかった信濃川河口の新潟港は、1907年に大河津分水が工事着手したことなどから築港が可能となり、重要港湾に選ばれ、1917年に右岸(沼垂側)での近代港湾の築港工事が始まりました。

 もともと信濃川の中洲であった万代島は、築港において水路の確保のため除去される計画でしたが、計画が変更となって残され、流作場ともつながり、貨物用の鉄道の引込線が敷設されました。戦後、1969年に新潟東港が開港し西港の機能が再検討されていきました。1981年には万代島フェリーターミナルが完成しました。

 

 1980年代当時は、港湾空間を物流だけでなくレジャーや居住空間としても利用するウォーターフロント開発が注目されており、新潟港でも、運輸省(当時)による「ポートルネッサンス21」の調査が1987〜88年に実施されました。この中で、重点的な再開発が求められた万代島は、1992年に国際交流拠点としての整備が決定することとなりました。万代島の倉庫群は姿を消すこととなりましたが、紆余曲折を経て、2003年に「朱鷺メッセ」が開業しました。

 

 以降、2007年に移転した新潟魚市場跡地の一部の活用としての市民市場(ピアBandai)の検討と開業(2010年)、2010年の新潟漁業共同組合の移転に伴う万代島旧水揚場跡地の活用検討に伴う万代島多目的広場の検討と開業(2018年)がありました。

 そして、2018年7月に策定された「新潟都心の都市デザイン」を受け、2019年3月に新潟県、新潟市、新潟西港・水辺まちづくり協議会による、万代島地区のまちづくりにかかる将来像やその実現に向けた方向性を共有する「万代島地区将来ビジョン」が策定され、官民が協働して地区のにぎわい創出と活性化に取り組んでいます。

 

万代島にぎわい空間創造事業(第1期 ピアBandai)

万代島にぎわい空間創造事業(第2期 万代島多目的広場)


万代島地区将来ビジョン 短期取組のイメージ

万代島地区将来ビジョン(新潟市)

万代島地区将来ビジョン(新潟県)

新潟西港・水辺まちづくり協議会